茨城のひと昔前の青空ですよ

この「History」には遠い昔、茨城で音楽活動をしていたみなさんの様子を記録いたします。
ここには、なにも情報が無かった頃、必死にFENラジオに聞き入っていたりひたむきに演奏活動を続けていたり、ともかく音楽に情熱を傾けている若者達の姿があります。
もしかしたらこの方たちの活動が現在の茨城ブルーグラスのルーツといえるのかもしれません。
温故知新、偉大な人生の先輩たちの足跡を追うことは、新しい時代に向けて茨城ブルーグラスの大きな励みになることでしょう。
なおここにトピックスとして掲載されていることもふくめて、茨城ブルーグラスの足跡をFootprints in the 茨 と題して、別ページに年表として掲載してあります。是非こちらも併せてご覧になってみてください。
あなたの記憶やアルバムに残っている古い写真などは、そのまましまっておくのは、もったいないと思いました。みんなで共有して、茨城ブルーグラスの歴史として長く保存したいと思います。このホームページをご覧になった方で他の情報などがありましたら是非こちらにご一報ください。
また誤りなどがあるようでしたら、これもご連絡いただけるとうれしいです。
                                                        
Smoky Mountain Boys (1963年ころの県立水戸一高生たちのマウンテンミュージックバンド)
牛堀C&Wクラブ (60年代後半から70年代初頭にかけて茨城県牛堀町で活動していた音楽サークル)
DEL McCOURY & THE DIXIE PALS live in 水戸 (1979年 水戸にデル・マッカァリを呼んだ男の逸話)
第1回勝田フェス 1989年 金沢大三井教授を招いた記念すべき第1回勝田フェス
大学対抗フォークソング合戦 桶狭間?関ケ原?、いえいえ、いにしえにはブルーグラス界にも合戦があったのです。
昭和41年のグラナダ斉藤テレビ出演の記録。


上の写真をクリックすると写真が拡大表示されます
Smoky Mountain Boys 1963
昭和38年(1963)の秋、水戸一高体育館の舞台に麦藁帽子を被った6人がそれぞれ楽器を携えて立った。ベース吉田、エレキギター東谷、田山、スチールギター中野、サイドギター宮崎、Smoky山口のメンバーで各人それぞれ『カントリー風』に気取ってはいたが、親父のオートバイ用の半長靴を履いたり、野良仕事用の麦藁帽子を絵の具で染め、サイドギターの2人などは、下敷きを切り抜きピックガードにして張付けたり、ギターは古賀政男の写真がサウンドホールからのぞいているものがいた。 曲はH・ウィリアムスのジャンバラヤ(山口)モリダーリン(宮崎)偽りの心 (山口)インストがユーオールカムだったと思います。いずれにしても学園祭を目標にした『バンド』であり、その後は各人それぞれ学力に応じた受験勉強に戻っていった。同じ舞台に現在黒沢プロで第1作『雨あがる』を完成させた小泉堯史監督がジャズバンドでテナーサックスを吹いていたことを思い出します。(by Smoky Yamaguchi)
 
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1970年定期演奏会プログラム
下のプログラムクリックすると大きく表示されます

牛堀
Country&Western Club


羽生淳三さんから山口晋一(Smoky 山口)さんへ宛てた書簡から抜粋いたしました。
文中<>内の文字はパパラッチが付け加えました。

確か我々兄弟<Hanyu Brothers>がラジオ関東に出演したのは1963年頃だったと記憶しております。ラジオ関東のあの番組<Western Town>とFENの夜のグランドオールオープリイ、昼のホンシュウヘイライド&メイクマインカントリースタイル、早朝5時5分からの番組などが当時の我々のカントリーのバイブルでした。当時はバンドと言える程大したメンバーではありませんが、山口正光<山口兄弟の兄>という人がリードギターとフラットマンドリンとスティールギターとバンジョーの持ち替えで、私の兄<羽生功氏>がドラムスと唄、私<羽生淳三氏>がギターとボーカル、甲田いさお(ジミー甲田)がフィドル、山口兄弟の弟がサイドギター(山口博)という構成で牛堀の秋のお祭りの時に学校の講堂などを借りて演奏しました。また60年代後半から70年代初頭にかけては定期的に牛堀カントリー&ウェスタンクラブ<以下牛堀C&Wクラブ>としての生演奏やレコードコンサートを町のレストランや喫茶店を拠点として行いました。この当時は会員は60名にのぼり、町会議員さんからC&Wクラブに当時としては破格の1万5千円の寄付をうけました。当時のレパートリーとしてはカントリーが70%ブルーグラスが30%でブルーグラス系では我々に加えてトリオまたはカルテットでセークレッドソングをハモりました。Path me not、Angel Band、I saw the Lightなどです。他はプログラムをご参照ください。兄はKentucky Waltz、カウライジャ、Honkytonk Man、She'll be comin' round the mountainなどを唄いました。この時期私は上京して社会人になってますのでこの時は兄のソロがメインです。1966年頃銀座のテネシー(ジャズ喫茶)へバンド名を変えてカントリーとロカビリー半々のレパートリーで出演したのがもっともメジャーな場でした。牛堀C&Wクラブとしてのイベントとしては定期コンサートの他に年に2〜3回千葉県のマザー牧場へのハイキングなどで会員の交流をはかっていました。尚牛堀C&Wクラブ最盛期の70年代の定期コンサートのプログラムが奇しくも残っていましたのでレパートリーの参考に同封します。
by ”MonSieur" Hanyu <羽生淳三さん>  History topへ

上記のプログラム発見の後で、さらに当時の写真が見つかりました。それを郵送してきた羽生さんの手紙をそのまま紹介するとともに、写真を公開します。(by パ)
山口様へ
"Bluegrass ibaraki Home Page"試作段階の文書楽しく拝見させていただきました。 遠い昔のなつかしい我々のクラブの当時の活動状況がHome Pageに掲載されることは当方にとって深いよろこびであり大変光栄に思います。 このたびの山口さんの熱意と御努力には心から感心している次第です。 ご要望の、当、牛堀カントリー&ウェスタンクラブの当時の写真が見つかりましたので在中しますが写真裏の番号順に説明します。
(1)写真表にT.Hanyuのネーム入りが私の兄の羽生功です。ドラムスとボーカルを担当
( 2)ジミー甲田とマウンテンボーイズのインストルメンタル フォギーマウンテンブレークダウンのスナップ 山口正光(バンジョー)ジミー甲田(フィドル) 山口博(フラマン)岡野信吉(ギター) 他ベース、このスナップの時、我々兄弟は受付に出ているので入っていません。
( 3)ブルーグラスセイクレッドナンバーのパスミーノットの曲に私もコーラスのハモリに 加わりました。左端が私です。30年前は若かったデスネ。
( 4)定例コンサートと並ぶイベント、千葉マザー牧場での会員交流のハイキングスナップ
( 5)年間最大のイベント"SUIGO Jamboree" 東京から招いた当時最高のブルーグラスバンド「ザ・クワルテット」の演奏スナップ
以上参考までに乱文乱筆にて失礼します。
下の写真はいずれもクリックすると拡大表示されます
羽生功氏
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DEL McCOURY & THE DIXIE PALS
LIVE IN MITO 1979

当時、実際に使われたポスターとチケットです。
ポスターはクリックすると拡大表示されます。
1979.12.2 水戸市にある新装間もないサントピアビルの7F サウス コアにてDel Mccoury & Dixie Palsの水戸公演があった。
メンバ−はGuitar Del Mccoury   Banjo Dick Smith   Mandolin Hershall Sizemore
Bass JerryMccoury  Fiddle Sonny Miller。水戸での興行主は飯島  隆氏。
その時の様子がMOON SHINER誌98年4月号に「茨城ブル−グラス事情」 に書いてあるので以下抜粋。


・パイオニア、飯島 隆  その青草丸第一船入港は、昭和45年(1970)折しもフォ−クソングブ−ム の中、マイク・シ−ガ−とアリス・シ−ガ−(現ジェラルド)が水戸公演に来る 事により始まった。丁度その時、水戸市内で広く木工会社を経営されていたニュ−ロスト・ランブラ−ズ大好き人間の飯島青年は「この時ぞ」とばかりに草の根運動。「この音楽をみんなのものに!」と市内を触れ回ったが、1200名収容のホ−ルに何と100名しか入らなかったとのこと。だが氏はこれに懲りず昭和54年(1979)今度は自らの手で公演を仕掛ける。それがトリオからLPリリ−スされたDel Mccoury&Dixie Palsの幻の名盤 「Strictly Live in水戸」の公演であった。兎に角チケットを売りさばこう、と焼鳥屋のオヤジからアルサロのオバチャンまで本業の家具製作の納期遅延やクレ−ムは何のその、気合いを入れてチケット230枚(一枚2800円)を売りさばいたそうです。
小生も当時仙台に転勤しており遠路駆けつけ観客の中にいましたが、客の拍手の入れ方が何となくずれていたのに、ふと違和感を感じたのを覚えていますが後々その時の事を彼に聞いてみますと、観客は200名入ったが何とブル−グラッサ−は12名位しかおらず、あとの人たちはスタンダ−ドポップスでも聴きに行くようなつもりで無理矢理チケットを買わされた方たちのようでした。この公演を最後に飯島氏は家業と嫁探しに熱を入れるために暫くグラスの世界から遠のく。


  以上の様に書かれていますが、前記LPレコ−ドは国内でプレス数も少なくまたトリオレコ−ド自身が営業方針を変えてしまったために直ぐに廃盤となってしまいました。3年くらい前にBLUEGRASS UNLIMITED誌のニュ−リリ−スCD紹介に 「Live in 水戸」が出ていましたが米国County Salesのニュ−スレタ−にも載ってないところを見るとこれも既に廃盤なのでしょうか.
      by グラナダ斉藤          History topへ

これが水戸フェスのルーツだ!
第1回 勝田フェス

写真をクリックすると拡大表示されます
1989年10月 ブル−グラス音楽についての著書の多 い金沢大学の英米文学教授三井 徹氏を迎えてミニコンサ−トが旧勝田市 関山 楽器ホ−ルにておこなわれた これが勝田フェスの第1回目であり後の水戸フェ スへと繋がっていく。

by グラナダ斉藤
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その昔、音楽界でも合戦がありました。
題して
「キョーリンフォークソング合戦」
昭和41年(1966年)7月17日 初代SUNNY BLUEGRASS BOYSは初めてテレビ出演する。しかも日曜日のゴ−ルデンタイム夜7時より始まった新番組キョ−リン薬品提供「キョ−リンフォークソング合戦」のトップバッタ−で。当時持つだけで不良少年の扱いをされていたエレキギタ−ブ−ムが去りそよ風にのった健康的なフォ−クソングの到来。町中はギタ−ハ−ドケ−スならぬチエックのソフトケ−スを持ち歩く若者が目立ちはじめ た。ブ−ムに乗った新番組に出演したBANDは次ぎの通り
1.早大  SUNNY BLUEGRASS BOYS
      演奏曲HOW MOUNTAIN GIRLS CAN LOVE
2.慶応 BLUEGRASS FIVE
      演奏曲 MEMORIES NEVER DIE
3.成城 SETTLERS
      演奏曲 アメリカンフォ-クの和訳ソング
4.上智 SUNNY FOLK SINGERS
      演奏曲 STOPPED JOHN B SAIL
結果はみんなが分かりやすい、と言う事で3が優勝。
我々に対する審査員のコメントは、いずみたく氏から 「楽しいことをしている時は楽しい表情で」でとの事。 ごもっともデス。
審査員 いずみたく、中村とうよう、寺本圭一、坂本博士
司会  志摩由起夫
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